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家康、ヌエバ・エスパーニャへ使節派遣

1610年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1610年8月

ビーベロ他を送り届けるためウイリアム・アダムスの指導で日本で始めて(慶長15年)建造された洋式船サン・ブエナベントウーラ号(日本名安針丸)は8月 1日浦賀を出港、10月27日ナヤリット州マタンチェルに到着し、その後アカプルコへ回航された。同船には家康の使者としてビーベロとアロンソ・ムニョス神父を、また通 商開始を期待して京都の商人、田中勝介、朱屋隆成、堺の商人、山田助左右衛門等23人を乗船させた。

帰着後ビーベロは副王に日本各地の見聞について詳細な報告を行うと共に「ドン・ロドリゴ日本見聞録」を著した。

更に、太平洋横断に際して嵐に多く遭遇するロス・ラドローネス諸島(グアム・マリアナ)経由でなく、船の補給、修理に都合良い、また交易の可 能性も高い日本経由航路の開設 と鉱山技師の日本派遣について副王、イスパニア皇帝に意見具申した。これに対しスペイン本国は、日本との通商はイスパニア領のフィリピンを窓口にするとの意向を示した。

 

1928年(昭和3年)サンフランシスコ号の乗組員、船客が救助された御宿の東海岸岩和田の轟山(104m)に「日西墨三国交通発祥記念碑」が立てられた。

1978年11月1日には記念碑建設の50周年式典 がロペス・ポルテイーリョ メキシコ大統領の臨席のもと開催された。(この年アカプルコと御宿は姉妹都市となった)



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