トップ >> メキシコと日本の歴史 >> マニラーアカプルコ間の太平洋横断航路の開設と途中日本への寄港
1565年のメキシコと日本の歴史についてのページです。
ロペス・デ・レガスピ遠征隊の一員のアンドレス・デ・ウルダネッタ(地理学者でアウグステイヌス会修道士)がセブ島をサン・ペドロ号で出発し太平洋を大圏コースで東航して10月ヌエバ・エスパーニャへの帰還に成功した。復路発見により東洋とヌエバ・エスパーニャとの間の通 商航路が開設されることとなった。
この航路のスペイン商船は莫大な利益の上がる東洋、特に中国からの絹製品ほかの産物を運んだことからナオ・デ・ チーナ(又はナーオ・デ・マニラ)の名称が与えられることとなった。
以後太平洋を東航中のガレオン船が1567年の天草寄港を皮切りに時々日本の港に寄港するようになり、これが後日徳川家康にルソンとヌエバ・エスパーニャとの通 商の期待を持たせることとなった。