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長崎での26聖人殉教

1597年~1697年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1597年 2月5日

(メキシコの聖人フェリペ・デ・ヘススが殉教者中に含まれていた)

秀吉はキリシタン禁制の断固たる決意をキリシタンの多い九州に示すために、捕えたパウロ・三木以下イエズス会、フランシスコ会修道士、日本人キリシタン等を各地を引き回し、長崎に連行して2月5日公開磔に処した。 この時の殉教者の一人がフランシスコ会のフェリペ・デ・ヘスス修道士であり、1862年にメキシコ人としてはじめて列聖されることとなった。

(1961年クエルナバーカ市のカテドラルー当時フランシスコ会の修道院であったーの修復中に、その内部壁面 下に長崎26聖人殉教の場景を描き太閤様が死を賜ったと記されたフレスコ画が石灰で塗り込められているのが発見された。)

1697

ルソン総督フランシスコ・デ・テーリョは事件の発生に遺憾の意を表明し、船の残存備品、没収された積荷及び修道士の遺体の返還を求める書簡を送ったが、秀吉はイスパニア人達が国法を護らなかったからと責任を回避する回答を送った。 この際、総督の使者は秀吉への贈り物として日本に初めて象を運び入れた。



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