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ヌエバ・エスパーニャ副王の答礼使来日

1611年~1612年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1611(慶長16年)6月

ヌエバ・エスパーニャ副王ルイス・デ・ベラスコはビーベロ以下の遭難者に与えられた援助につき家康、秀忠に礼を述べるため答礼使としてセバステイアン・ビスカイーノを選び、サン・フランシスコ2世号を乗船として、日本に派遣することとした。ビスカイーノには併せて日本近海にあるとされていた金銀島の探索の使命を与えた。

3月23日同船はアカプルコから浦賀に向け出発し6月10日浦賀に到着した。この時家康に贈られたスペイン製の機械時計が現在も遺されている。

1612.9

家康はヌエバ・エスパーニャ副王に書簡を送り、贈物への感謝の意と両国 間の交易が継続するよう希望を表明したが、日本でのキリスト教布教は仏教の教えと相容れない為に終止されなければならないと伝えた。

同月、秀忠は幕府直轄領でのキリスト教禁止令を発令した。

10月、ビスカイーノは家康と秀忠からのメキシコ総督宛の書簡及び贈物を携えて金銀島の探索を行いつつ帰国の途につくも難破して浦賀に引き返した。ビスカイーノは翌年、伊達藩使節、支倉六右衛門常長が渡欧するためその建造を自分で監督した船サン・フアン・バウテイスタ号(日本名、陸奥丸)に便乗して帰国する。この間、日本の沿岸を測量 して作成した地図の一部を家康、秀忠に献上した。



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