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鎖国時代の若干の接触

1630~1842年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1630

マニラにおいてイエズス会宣教師により西日辞典が編纂された。

1738

マニラにおいてメンショール・オヤンケーレンにより日本文典が著されれた
(フィリピンにおいて日本人とスペイン人の交流は続けられていた)。

1708

屋久島にイタリア人宣教師ジョバンニ・バッテイスタ・シドッテイが潜入し捕らえられた。
新井白石が尋問、西洋紀聞にノビスパン(ヌエバ・エスパーニャ)と日本の間の交渉について調書を取っている。

1813

督乗丸 太平洋を漂流しメキシコ船に救助される。

1841

永代丸 太平洋を漂流しメキシコ船に救助される。
(鎖国中,太平洋での日本船漂流は約60回あり、北米で計6隻が救助された)

1842

兵庫西宮の中村屋伊兵衛の持ち船栄寿丸が奥州に向かう途中暴風で難破し、
漂流4ヶ月目にハワイとカリフォルニア半島の中間でスペイン船、エンサヨ号に
発見された。船頭、善助以下13名が救助されて、カボ・サン・ルーカスほか各地で
降ろされ、後にマサトランに送られて、三年後6名が出国、内5名は香港、マカオ、
中国を経由して帰国した。長崎での彼等に対する尋問調書が残されている。



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