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三奥組合・日墨協働社の活動

1901年~1904年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1901

榎本殖民地崩壊後六名(照井、高橋、清野、有馬、鈴木、山本)の移民が現地に残り三奥組合(三河、奥州をとり命名、理事は照井氏)を結成した。

1901

藤野辰次郎は榎本殖民地を無償で譲り受け、榎本氏の志を継いで三隅捨蔵を殖民地に派遣、また、翌年には藤野移民として知られることになる堀田(ほりた)つねき、布施常松等第二次移民が送り込まれて藤野農場の経営に当たった。(本グループの子孫10家族が現在のACACOYAGUAの日本人コロニーの中心となっている) 1916年布施はアカコヤグアの東方にハラパ農場を開き牧畜と多角的農業を営んだ。 なお、1922年内村鑑三門下の一人、松田英二博士がエスクイントラに移住、長年に亘り農場を経営し、また先住民の教化と植物標本採集に当たった。

1904

三奥組合は発展的に解消し一旦殖民信用組合となり、その翌年、照井亮次郎を指導者とする30名の社員からなる日墨協働社が結成された。 (墨国商法に基づくCIA. COOPERATIVA JAPONESA-MEXICANA,S.A.) 同社は日本からの呼び寄せで1908年頃には83名に増え、1915年までの間に、農業のほか、薬局、雑貨店の経営、諸般 の製造業、発電、更には日西辞書の編纂*まで事業を拡大したがメキシコ革命の混乱で打撃を受け1920年解散を余儀なくされた。 *1914年には同志社大出身の村井二郎氏を呼び寄せ西和辞典の編纂が開始された。(1925年3万語収録の辞典が完成、2000部印刷)



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