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メキシコ革命時のエピソード

1910年~1924年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1910.10

フランシスコ・マデロ、サン・アントニオでサン・ルイス・ポトシ綱領を発表。 革命が勃発した。

1911.1

マデロの軍、ヌエバス・カサス・グランデスで政府軍と闘い敗れるも、各地で反 乱が発生する。

1911.5

デイアス政権崩壊し大統領は亡命。

1911.6

マデロ、首府メキシコ市に入る。

1913.2

マデロ大統領に対しウエルタ将軍が叛乱を起こす。 当時の駐メキシコ代理公使堀口九万一は殺害されたマデロ大統領の家族を一時公邸に保護した。 コアウイラ州の日本人移民多数が失業し、その内90人がウエルタ軍に、十数人が反乱軍に加わった。このほかにも各地で多数の日本人移民が革命戦争に参戦して名を馳せた。

1913.11

軍艦 出雲(艦長森山慶三郎大佐)が在留民保護のためメキシコに出動した。 マンサニーリョで海兵数十人を上陸させ、公使館防衛のため陸路メキシコ市に向かわせると共に、艦長も一ヶ月後にメキシコ市入りしてウエルタ将軍の歓迎を受けた。出雲は1915年4月日本に帰航した。

1915.10

米国、カランサ政権を承認。

1916.1

ウエルタ死亡。ビリャ追いつめられてゲリラに転じる。

1917

アメリカ上院で禁酒法が成立し、1919年1月から発効した。 第一次世界大戦中に綿花価格が高騰した。 1917年から24年にかけてカリフォルニア南部の日本人移民の一部が同州で排日土地法が成立したことを嫌って南下メヒカリに到り、同地で綿花栽培に従事した。また、革命の戦乱を避けてメキシコ北部諸州からも日本人が北上メヒカリに到り、同地に日本人経営の農園が増加した。同地の在留邦人数は多い時には1000人に達した。 しかし、1934年以降ラサロ・カルデナス大統領が農地解放運動を開始すると、日本人移民の所有した多くの農園及び開拓農地が接収されることとなった。

1923

関東大震災に際して、メキシコ政府・民間は総額14万円の義捐金を送った。

1924

日墨通商航海条約が調印され、翌1925年に発効した。 この年日墨協会が設立され森山慶三郎海軍中将が初代会長となった。



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