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家康の死とキリシタン弾圧、貿易制限の開始

1616~1620年のメキシコと日本の歴史についてのページです。


1616年7月(元和2年)

家康75歳で死去。

二代将軍秀忠はより厳しいキリシタン弾圧と貿易制限の方針を打ち出した。

これに伴い南蛮船の出入は長崎、平戸の二港に制限された。

1620年8月(元和6年)

支倉使節、ヌエバ・エスパーニャからマニラ、長崎経由で仙台へ帰着。

アカプルコで待機していた従者の大部分はメキシコ人女性と結婚しており、同行して帰国したのは僅かな人数であった。

伊達政宗はこの年8月8日突如キリシタン禁制を布告。支倉常長は帰国の2年後に52歳で没し、彼の嗣子は死を賜り支倉家は断絶する。ソテーロ神父は1622年、鹿児島に潜入するも長崎で捕らえられ、1624年処刑された。

支倉遣欧使節の渡欧は鎖国の中で完全に忘れ去られ、1871年岩倉具視がローマを訪問した時にその記録を偶然に発見して事績が明らかとなった。



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